2007年09月12日

富国強兵〜日清戦争[明治6年〜明治31年]

第1期 地租改正と所得税の創設(法人非課税の時代)
  (富国強兵〜日清戦争[明治6年〜明治31年])
1873/明治6 地租改正により地価の3%に課税
徴兵令の施行により国民皆兵とする
太政官制改正
内務省の設置
1875/明治8 酒類税則の施行
大蔵省に地租改正事務局を設置
1876/明治9 地租改正反対一揆により税率が2.5%に引下げ
廃刀令(この頃、士族の反乱が各地で起こる)
1877/明治10 大蔵省に租税局を設置
西南戦争が起こる
1878/明治11 郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則の地方三新法が制定され、営業税などの地方税が生まれる
1884/明治17 大蔵省に主税局・主計局を設置
(租税局・関税局の廃止)
租税局出張所の事務を府県に移し収税課を設置
1885/明治18 太政官制を廃止し、内閣制度を創設する
1887/明治20 所得税法の施行(富裕税、高額所得者のみ)
1889/明治22 国税徴収法を公布
国税滞納処分法を公布
大日本帝国憲法を発布
会計検査院法公布(天皇直属に)
1890/明治23 ドイツを手本に商法(旧商法)が成立
第1回衆議院議員総選挙第1回帝国議会を開く
間接国税反則者処分法が公布
1893/明治26 旧商法が施行
日本郵船株式会社が創業
1894/明治27 日清戦争(〜1895/明治28)
1896/明治29 税務管理局官制公布(府県収税部及び収税署を廃止し、大蔵省直轄の税務管理局・税務署を設置)
営業税が地方税から国税に
登録税の創設(登録免許税の前身)
民法の公布(第一編〜第三編:総則、物権、債権)
1898/明治31 民法の公布(第四編・第五編:親族、相続)
民法の施行


地租改正で何が変わったのか
 明治政府のスローガンは、富国強兵でした。安定した財政基盤(=地租改正)と行政機構の確立、富岡製糸場などの殖産興業への注力、そして徴兵令の導入により、日本は近代国家への道を歩むことになりました。

 地租改正により、それまで土地の収穫量を課税標準として課税し、耕作者である百姓から年貢として物納させていた税制が、土地の価額(ただし、収穫量を基にした収穫力であり、現在の価額とは性質が異なる)を課税標準とし、全国一律で3%という税率をかけ、納税義務者は土地所有者に代わり、金納をさせました。

 そして大蔵省に地租改正事務局が設置され、改正作業は進んでいきました。しかし、農民の負担は一向に軽減されず(そのように税制が設計されていたため)、地租改正一揆が各地で起こり、明治政府は税率を3%から2.5%に下げざるをえませんでした。

 その後、主役は地租税と酒税の間接税になっていきました。

所得税の始まり

 所得税は1840年代のイギリスで初めて導入され、アメリカは遅れること1913(大正2)年に導入されたきわめて新しい税目でした。

 日本で所得税が導入されることとなった理由は、1つは、清との戦争に備えて軍備の拡大を急いだことでした。そしてもう1つは、自由民権運動により、選挙権を誰に与えるかというときに、納税額を基準にしたことにありました。

 1890(明治33)年、日本初の国政選挙(第1回衆議院議員選挙)が行われ、直接国税15円以上を納めた満25歳以上の男性が有権者となりましたが、地租を納める大規模土地所有者等だけではなく、所得税を納める資本家(高額所得者)も政治への参加を認めました。

 当時の所得税は今とは異なり、単純累進課税で、同居家族の所得もまとめて家主に対して課税していました(「家制度」に基づく課税)。

 なお、所得税創設当初は、法人と個人の二重課税を避けるために、法人の所得そのものに課税を行っていませんでした。そのため、法人が利益を配当した場合に、配当を受け取る個人について他の所得と合算して所得税課税を行うにとどまりました。

地方税はどうだったか

 1869(明治2)年に版籍奉還が行われ、大名から天皇に領土と人民が返されましたが、各大名は知藩事として引き続き藩を治めました。そして1871(明治4)年の廃藩置県により、藩は「県」(要所は「府」)に代わり、知藩事は失職し、政府から知事が派遣されました(歴史上、「藩」という言葉がでるのは明治2年から明治4年までの2年間だけで、江戸時代に藩という呼称を使うのは極めてまれだったそうです)。

 しかし廃藩置県は藩士の大量リストラを産み、士族たちの不満が募り、1876(明治9)年の廃刀令も追い討ちをかけ、全国で士族による反乱が起こりました。また、士族を中心にして自由民権運動の拡大も起こりました。

 そこで地方を平定させることを目的に、1878(明治11)年に地方三新法が公布され、地方自治を政府主導で行いました。この中の1つに、府県が税目等を定めることができる地方税規則がありました。

大日本帝国憲法とインフラの整備

 1889(明治22)年2月11日に公布され、1890(明治23)年11月29日に施行された大日本帝国憲法には、「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス(第21条)」と納税の義務を規定し、「新ニ租税ヲ課シ及税率ヲ変更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定ムヘシ(第62条の1項)」とあるように、租税法律主義が定められました。

 また、「現行ノ租税ハ更ニ法律ヲ以テ之ヲ改メサル限ハ旧ニ依リ之ヲ徴収ス(第63条の1項)」とされ、憲法制定後も従前の租税が(改廃されない限り)残ることになりました。

 そして、国税徴収法国税滞納処分法(のちに国税徴収法に一本化)、間接国税反則者処分法(国税犯則取締法の前身)など、租税に関する制度が次々に定められていきました。

 1896(明治29)年の税務管理局官制によって、全国23ヵ所に税務管理局が設置され、その下部組織として税務署が設置されました。税務管理局は現在の国税局の前身です。


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